だから今僕はここにいる
コラム
僕は明治大学のOBで学連出身のプロウィンドサーファーです。
大学4年生の時はチームでは主将を務め、それはそれは後輩達に人権無き指導をたくさんさせていただきました。笑
(なので引退してからは一切OBとして現役には口出ししていません、勝つために必要なこと、成功も失敗も全て教えたと思っています。)
その傍ら、2014年度学連NTのキャプテンとしても活動していました。
チームメイトは、板庇雄馬、倉持大也、小松大悟、石井良平、高津一晃、白木青羅、山辺美希。
引退してから4年の月日が経ちますが、今も半数以上のメンバーが選手として競技を続けていて、学連を超えてウィンドサーフィン界に、大きな影響を与えてくれていると思います。(そのためだけじゃないですが、そのためにも日々それぞれが努力していると思います。)
親が厳しかったこともあり就職活動をして内定もいただいていましたが、卒業後は愛媛の国体選手として、オリンピックを目指す道に進みました。
以降3年間、愛媛県にお世話になりました。
セーリングパートナーは小嶺恵美さん、この人にどれだけお世話になったか。
感謝してもしきれません。
(国内、海外遠征の思い出がフラッシュバック📸笑)
そして2017年の10月、愛媛国体が終わり、オリンピックへの道を継続するか否か、今一度考える時間を作ることができ、7年間やってきたコースレース競技から離れる決断をしました。
(↓4年のインカレ個人戦から3年待たせた2人と共に表彰台へ、3人で表彰台に立つのが約束でした。)
そして翌年2月のジャパンサーキットで、スラローム競技のプロ資格を獲得。
2018年度からGA.Tabouのジャパンライダーとしてマニューバーライン様にサポートしていただき、プロウィンドサーファーに。
(みんな憧れのユウマさんは同メーカーのインターナショナルライダー、今年のカタログでは表紙を飾ってます。これほんとすごいし、かっこいいし、憎たらしいけど憧れます。Checkしてみてください。)
同年4月、大学卒業後ずっとお世話になっていたここFareast(CRB)に雇用してもらい、インストラクターとしても働きはじめました。
そしてそこには青学の子達が活動していました。
青学は明治とは真逆のカラーのチームで、楽しくて元気で一緒にいてすごく楽しいチーム。
(僕も大学4年の時は青学のチームの雰囲気作りをマネさせていただきました。)
とは裏腹に
『僕は、私は、高校でやりきった』『他大学の練習に混ざって迷惑かけるのが怖い』
という一面も…
1番気になったのは自分に自信を持てない?持つ気のない?子達がいた点。
やる前から諦めんなよ!と言ったり言わなかったり。
トロフィーや盾を取っては勝手に彼らのミーティングルームに飾り、アピール。
ここには速い選手がいると全国的にわかれば青学の子達も練習参加しやすいのでは?と考えてみたり、
一緒に遠征に行っては熱苦しい話を聞かせたり、できる範囲で試行錯誤。笑
その一つがSNSによる、彼らの活動報告。の合間にウィンドの魅力、伝えたいことを少しずつ混ぜる、という手法でした。
別にウィンドじゃなくてもなんだっていい。
何か目標を持ってそこに向かっていくことは、かっこいい服着てキメるよりも何よりも100倍かっこいいことなんだよ。
ということを伝えたかったわけです。
ウィンドサーフィンを通して奇跡的な確率で出会うことができたからこそ、この学連に所属している3年間、4年間が次の人生の糧になる、人として大切な何かを伝えていけるように今後も彼らと接していきたいです。
そしてそんな自分になれたのも、プロウィンドサーファーとしての自分、国体選手としての自分がいるのも、明治大学での4年間があったからでそこに揺るぎない誇りを持って僕は毎日を生きているし、明治大学に対する感謝の気持ちを忘れたことはありません。
【だから今僕はここにいる】
偉そうなことをツラツラと書きすぎましたね。
言ってるからには自分もやらないと話になりません。
2019年も現役のみんなに負けないよう全力全開で僕も頑張ります。
そういえば昔よく
『学連の後輩は俺の後輩だ。』
なんて言っていたのを思い出しました。
何か力になれることがあればなんでも言ってきて下さい。
僕で良ければ力になります。
ではでは、長いことお付き合い頂きありがとうございました🙇♂️
工藤 輝