Photographer TAKI
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photographer TAKI さんが亡くなった。。。
Gemtemstickの玉井太郎さんの記事で知った。
今日、8/8の午後に知り、ずっと頭から離れずにいる。。
10年程前の記憶をゆっくりと辿る。。。
2006年頃、僕はレースへの参加をやめ、Simmerに移籍しウェイブ選手活動真っ只中。
台風と低気圧が好物でグットコンディションを求めて、玉木さんとボロ車で台風を追い掛け回す。朝5時、たとえ道が通行止めになろうとも迂回して目的地を目指す、本当に嘘みたいなそんな時期だった。
明日はどこがベストになるか。という予測には関しては自信があり、外したことは一度もなかった。もっともっとと、際限なく行ってしまう自分に時々恐れることもあったが、とても真剣だった。
ウェイブセイリングが大好きだったが正直あまりコンテストでは本来の自分を表現しきれず、もどかしさも感じていた。
そんな自分をサポートしてくれていた小水さんから教わった写真を残し、雑誌に売り込む芸当。
企画から編集、原稿書きを覚え、ウィンドサーフィンで何かを表現しカタチにする。悲しいけれどこの業界の紙媒体として、最後の価値のある時期でもあったと思う。休刊になってしまった池野谷さんのWindsurferにはTAKIさんと共に沢山の思い出がある。
今では高性能な望遠レンズのデジカメで素人もバシバシ画像を撮ってデーターをアップできるが、当時ではそれは容易ではなかった。それを皆の力で少しずつカタチにしていく作業も物創りが好きな僕にはとてもあっていた。
当時、TAKIさんは先輩の釜口さんとゴールデンタッグを組んでおり、僕のような下っ端には大御所のカメラマンがレンズを向けてもらえるチャンスはなかなか巡ってこなかったが、そんな僕にも出版社を通してタキさんとコンタクトを取るチャンスが巡ってきた。
初めて会ったのは、、
12月末の相模湾の端で巨大なスウェルにトーインで挑んだあの時のジェットの上だったか、、、
8月の台風が接近した鎌倉、土砂降りの早朝だったか、、、
いつだったかは正確にはどうにも思い出せない。。。。
けれど、目がとてもキラキラしていて、なんだか、昔から一緒に海入っている仲間のような熱い男。
あの握った分厚い手の感覚はエキストリームを好む男の手だった。
そこそこ上手く乗れる自信はあったけれど、パーフェクトなライディングをできているかといえば、まだまだであった自分。
そんな未成熟なライディングの良い瞬間を確実に押さえ、作品に仕上げてくれる写真家。
今はあまりやらないけれど、この時はトゥイークエアが流行っていた。
バーティカルやトゥイーク今とはだいぶ趣向が少し違っていたと今になり、感じる。
ウェイブボードの全長も長く、そういうラインで乗る板だったのか、イメージがそうだったのか。
この記事のテキストは僕が書いていた、、、ほとんど覚えていなかったが、当時の熱を感じる。タキさんとの熱い時代。
ちょっと言い方が適切ではないかもしれないが、不細工なモデルを別人のように美しく撮れるそんな写真家。
今思い出したが、逗子マリーナ前でのセッションの時はタキさんの到着が渋滞で遅れて、それを待てずに先に海に入ったが、
打ち合わせ通りのあの場所でちゃんと、良い瞬間は逃さなかった。
その日、海から上がってきたら、Takiさんは満面の笑みだった。瞬間を知っている。
撮影中、言葉無くして、意思の疎通ができて、お互いを高め、気分を高揚させてくれるそんな人だった。
海の中でハウジング片手にいいリップをした僕ににhyu!と歓声を上げてくれるそんな人。
ナッシュは玉木さん。この人も当時の熱い仲間の一人。
この時の水中写真はすべて僕のお気に入りの作品集に入っている。
これは確か夕方に近い午後の玉石。ウォーターショット。
この時が最初で最後の玉石ウィンドのウォーターショット。
たとえ乏しいコンディションでも見栄えがするように写すことができる写真家。
大崎での水中撮影中、カメラのハウジングがトラブルで一旦海から上がるも、速攻で新しいカメラに切り替え、レフトのラインナップまで泳ぎ戻ってきたTakiさん。あの海での泳力には驚かされた。
Takiさんとの撮影は数回であったが、プロの仕事を教わり、プロとして成長させてもらった幸運な時だった。
僕の人生のひとつのハイライトを一緒に過ごした TAKIさん、最高な時間をありがとうございました。
滝口 保氏 のご冥福を心から祈ります。